ガウディの街バルセロナより その12 カタルーニャの民族意識 丹下敏明 3回にわたって西ゴート、アストゥリアス、モサラベとプレ・ロマネスクの事を話しましたが、その後イスラーム勢力を追い出す長いレコンキスタの過程に平行して半島全域で展開されたロマネスクにも興味 …
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タグ:ガウディ
|画廊亭主の徒然なる日々 , 写真・映像
篠山紀信さん逝く
写真家の篠山紀信さんが新年早々1月4日に亡くなられました。享年83。 1984年11月13日 「宮脇愛子 新作版画展」オープニングで篠山紀信さん(中央) 会場:ギャラリー方寸(渋谷区松濤) 磯崎新先生のアトリエが防衛庁の隣にあった乃木坂時代、亭主は版画制作のために頻繁 …
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丹下敏明「ガウディの街バルセロナより」その11 モサラベ Mozarabe
ガウディの街バルセロナより その11 モサラベ Mozárabe 丹下敏明 先回に続いて70年代後半から80年代前半に見て回ったプレ・ロマネスクについて話したい。プレ・ロマネスクには西ゴート建築、アストゥリアス建築、そしてモサラベ建築というのがあるのはすでに述べた通り …
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丹下敏明「ガウディの街バルセロナより」その10 アストゥリアス建築
ガウディの街バルセロナより その10 アストゥリアス建築 丹下敏明 前回話したように70年代の後半は年に地球1周ぐらいの距離を車で走っていた。結局自宅にいたのは3分の1、残りの3分の1は妻の実家のあったイタリア、そして残りは旅行していた。今も強いインパクトで忘れら …
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|■今週のWATANUKI'S CHOICE/ , 写真・映像
■今週のWATANUKI'S CHOICE/細江英公 東京国立近代美術館「ガウディとサグラダ・ファミリア展」6月13日〜9月10日
細江英公 "Sagrada Familia 203" 1975年 ヴィンテージ・ゼラチンシルバープリント イメージサイズ:44.9×44.6cm シートサイズ:60.6×50.7cm サインあり ときの忘れものでは幾度か展示してきた写真家・細江英公先生のガウディ連作の中の一点です。 1975年に撮影されたサグ …
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丹下敏明「ガウディの街バルセロナより」その9 毎年車で地球を1周走行
ガウディの街バルセロナより その9 毎年車で地球を1周走行 丹下敏明 1年間遊学のつもりでスペインに渡ったのが71年。それからは色々な事をしたが、その中でも70年代後半から80年代前半は滅茶な旅行を重ねていた。当時はLCCなどなく、学生連盟のようなところがチャーター …
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丹下敏明「ガウディの街バルセロナより」その8 ガウディの城
ガウディの街バルセロナより その8 ガウディの城 丹下敏明 1984年1月に磯崎さんに会ってから、政治的にも技術的にも超ややっこしいバルセロナ・オリンピックの体育館の建設に係わるようになって、超忙しい毎日を繰り返して、ガウディとの係わりはすっかり遠のいてしまった …
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丹下敏明「ガウディの街バルセロナより」その6 フランコ政権
ガウディの街バルセロナより その6 フランコ政権 丹下敏明 長々と私とモデルニスモの出会い、ガウディのバックにあった同時代のピカイチのカタルーニャでの世紀末の様子を話したが、その中でカタルーニャ主義についても若干触れた。ご存じのように現在の憲法では4つのス …
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丹下敏明「ガウディの街バルセロナより」その5 モデルニスモのバックグランド
ガウディの街バルセロナより その5 モデルニスモのバックグランド 丹下敏明 19世紀のバルセロナは急激な産業、経済発展によって、他地方からの移民者が爆増した結果、市街区が手狭となり、新市街の誕生という”場”が生まれ、膨大な数のモデルニスモの建築物が生まれた。 …
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丹下敏明「ガウディの街バルセロナより」その4 モデルニスモとの出会い
ガウディの街バルセロナより その4 モデルニスモとの出会い 丹下敏明 ガウディについては先に書いたように1971年に卒論として『ガウディの研究』と題した350ページの論文を出した。当時は参考文献を入手することすら大変だったが、何よりも海外渡航がそれほど簡単に出来 …
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